2009年9月25日。
日本百名山・御嶽山、乗鞍岳へと2泊3日で出掛けた。このところ山岳事故が多い。立ちくらみ、滑落、クマ騒動。 しかも先ごろ、トムラウシ山で大量の遭難者を出したA社のツアー登山である。 A社とは創業以来という長いつきあいで,債権が五千円(年会費三千円納入済)あった。5千円の償却はきついと・・8万余追い銭を払って出かけたのである。 福岡空港発7時50分。福岡から10名、仙台から8名。(男8名・・いつも女性上位である) ↓ 藤村の母の実家、脇本陣の奥谷林家は国の重文 初日はいつも移動日である。今回は中山道、妻籠宿・・江戸から数え42番目の宿場街・・・を訪れた。 木曾路はすべて山の中。 ほんの1行で文学作品として有名なのは古典では源氏物語、枕草子、方丈記。現代文学では夜明け前、草枕、雪国であろうか。藤村を読んだときから「中山道」をいろいろイメージしていた。いつも高速道路を行くのでここを訪れるのは初めてであった。百聞は一見にしかず。 街並み保存地区として{売らない、貸さない、壊さない}を原則として貴重な財産を残してきたのは見事である。世界遺産になった石見銀山の町はほぼ半数がしもた屋であったがここは見事というか業らしいほどにこさえられていた。 ☜郵便局は貸したのかも(^_-)-☆ 街並み保存から「街並み厚化粧化」した!!とでもいえようか。きずこも古色ピカピカ(^0_0^)である。 われわれの世代は戦前戦後、昔々の生活、赤貧の暮らしを経験しているので街並みを見ても実際はどうということはない。 多くの土産物店でも購買欲をそそるものはない一つ無い。 とある店に入って景気は?と尋ねてみた。超不景気だそうな。客が少ない、売れない。息子は外に出ており、嫁が賛成しないのでもう私の世代で終わりですとのことであった。日常の生活に不便な山の中の部落にはとても帰ってきてはもらえない・・・というのが実情でどこも現実は似たり寄ったりとのことであった。文化遺産を後世に残すのも一家庭からすれば大変な作業であるがなんとか残して欲しいものだある。 次は木曾川を上り、木曽郡上松町にある国指定の名勝である「寝覚の床(ねざめのとこ)」へ行く。 ここは浦しま太郎が竜宮から帰りこの地へ来て眠り、目覚めたという。 木曾ダムの工事で水位が下がり川底の花崗岩が出現したとのこと。 JR中央線の直下にある。列車は速度を落とし乗客へサービスするというほどの名勝地である。いちばん奥の浦しま堂まで出かけた。 宿舎は御嶽山5合目のスキーロッジを貸切。
by nandemo29
| 2009-09-29 09:10
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