3日目の最大イベントはアムール川下りである。
11月から半年間氷結し、その氷はオホーツクの海へと流氷となって流れ出る。樺太・千島列島・知床・そして太平洋へとロマンは続く。 船着き場には4艘の遊覧船が係留中であった。一艘に130人が乗る。 広大な河で川の流れはまったく感じない。船の中のあちこちっで「どちらへ流れているのか」の論争があるくらいである。東がオーホーツクで西がモスクワなのに西へ流れているのだ。ウスリー、との関連もよく理解できないままに終わった。司馬遼太郎の」「街道を行く」には川の向こうは中国だと書いているがそれはウスリー江のことだろう。ここからはまだ遠い。 船の中でたまたま熊本から来られた抑留体験のある矍鑠としたご老体と同席した。あまり多くは語られなかったが当時のむごさは聞きしに勝るものであった。おかげで、船の中の単調さを救っていただいた。 (抑留生活の詳細については’10・8・13に渡辺智具人著「ある医学徒の青春」に書いた)たまたま建物があるが、あとは単調な原野が続くばかりでなにもなかった。 クルーズとはそんなものかもしれないが金を払ってまで乗ることもない 下船後は近くの軍事博物館へ。戦勝国としての輝かしい戦歴史である。(第三次大戦が起こらない限り、わが日本は敗戦国の思いしかないのが???)日独伊との戦歴、屋外には軍事大国としての兵器の羅列があった。 すぐ隣の郷土史博物館へ。ホテルの周りはみな瀟洒なたてものばかりと思ったらみな公共の建物ばかりであった。どこも電燈が暗く、地下へ行く階段などは手すりをもたないと暗くて進めなかった。 ☜剥製の恐竜 と マンモス像 ⇓ 撮影料100ルーブル(300円)也 シベリヤの原野が動物たちの天国であったことがよくわかる。人類に滅ぼされた歴史である。
by nandemo29
| 2011-05-20 10:04
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