体調は回復したものの余りに暑いので「西海岸旅行のアップ」になんとなくはまりきらないでいる。その間もありがたいことに皆さんからのクリックが沢山あっている。責任とあせりさえ感じている。場つなぎといっては大変失礼だが昨年3月、高校卒業50周年の記念誌に書いた小生のエッセーを転記したい。
高卒後、同窓生有志で30年、40年と出したので、今回が第三号となる。 このエッセーは、小生の日常について書き記している。いわば実生活の吐露といえようか? まあ日記の延長みたいなものではある。 少々長い・・・お忙しい人は、飛ばして、あるいは興味のある項目だけ拾い読みしていただいて結構である。(原文のまま) コメントがあればご投稿願いたい。 ムダな抵抗はやめなさい! リタイアして家にこもってもう久しい。のんびり暮らせばいいのにあくせくしている自分がそこにいる。朝から晩までなにやらやっている。どこからともなく無駄な抵抗はやめなさいという声がきこえてくる。 1) 廃用性萎縮 大リーグが好きである。シーズン中はNHKのバブル放送のおかげで朝から野茂、イチロー、松井を見る事が出来る。なかでも黙々とローテーションをまもって投げる野茂選手はお気に入りである。野茂はいいな~といつも思う。だって、きっちり中4日で登板するのである。しかも毎回相手も場所も違っていて新鮮さこのうえない登板である。 こちとらも中4日で新鮮な登板が出来たらいいな~といつも思う。小生は廃用性萎縮学説の信奉者である。この学説は、人間の各種機能、脳も体も持ち物も、使わなければしぼむという学説である。 朝晩、素っ裸でおのれの一物をごしごしとしごく。♪若者よ~体をきたえ~テオケ~というわけである。20世紀最大の医薬品の発明は抗生物質とバイアグラだそうだ。でもまだおかげで後者にはお世話になっていない。こちとら極めて原始的な行動で克服しようとしているのである。 そんな説を信奉してごしごししごいても無駄な抵抗だヨ。もう、しごきなど、止めなさい!いまどきはやらないよ、医学的な根拠はなにもないのだろう。薬でものめよ、キットきくよ!という声が聞こえてくる。 2 早朝ジョギング 40歳すぎからジョギングをしている。もう筋金入りだ。ほとんど信仰かビョーキに近い、とわれながら思う。雨、風、雪、盆正月関係ない。10時間も歩いた山行の翌朝もちゃんと走る。通常、朝4時50分に起き、1時間朝刊を読む。真向法というストレッチ体操を10分ほどやる。足腰はほとんどガタが来ているというのに。腕立て伏せ、懸垂をするので冬でも汗をかく。朝のシャワーは格別だ。心身ともにリフレッシュされる。それに特訓の「ごしごし」のしごきが待っている。 ジョギングの創始者?で神様といわれた米の学者は走っている最中に心臓麻痺で52歳のときに亡くなったという、はなしにならない話がある。「スポーツは体に悪い」という本を書いた慶応大学の先生もいる。小生は活性酸素論の信奉者でもある。運動が過ぎると体に活性酸素がたまり悪戯をするそうである。人間長生きするためにはひたすらじっとしていたほうが良いのだそうだ。あのキンさん、ギンさんも、な~んにもしなかったはずだ。かまとばあさんも。走るなどもってのほかである。 ジョギングなど体に悪い!怠け者のほうが長生きする。明日からでもやめることだという声が聞こえてくる。 3)ティーンエィジャー 毎朝、耳にラジオのイヤホーンをつけてNHKの第二放送で英会話を聞いている。走りながらである。6時から中学1年、2年、3年と進む。家へ帰り→シャワー、そしてドイツ語を聞く。7時5分からやっと朝の食事だ。 自分では「毎日13歳から19歳までティーンエィジャーをしている」とかってに悦にいっている。全国の若者と時間を共有していると思っているメデタイ男なのである。 だが自慢じゃないが現実には毎週、タワーレコード発表のCDアルバムをみても、ただの一曲も、作品の名前も、歌手の名前もトントわからないのが現実である。それにほとんどが苦手の横文字でこのほうも、なにがなんだかわからない。 年末恒例、「国民的行事!」の紅白歌合戦も北島三郎、小林幸子ほかほんの数人しかわからない。火星人か、拉致被害者なみ(すみません)のエトランゼときている。得意の日本語でしゃべっていても「ろれつがまわっていない!おかしい」と孫から笑われる始末である。その孫のためこのあいだロンドンのデパートで「ハリーポターグッズ」がほしいと店員に聞いたが全く通じなかった。「ユー、ミーン、ヘリコプター?」ときたもんだ。 英語の勉強なんて所詮全く身につかないものだ。時間のロスだ。無駄な抵抗やめなさいといっているのに。 4)パソコン アウトドアー派の小生は70歳過ぎてからでもパソコンを始めようと思っていた。ところがいまどこへ行っても、外国へいっても「アドレスは?」ときかれる。「いやまだ買えないでいます」、「いや不調法な輩です」、「いや能力的にどうも」とかなんとか答えてきたがやっぱりシャクの種である。それに人間年をかさねるほど新しいことに適応が困難になる。1昨年秋、それまで世界一高かったADSLの料金が、ヤフーのおかげで世界一安くなったのを機会に思い切って御輿をあげた。 いま毎日一時間以上パソコンを楽しんでいる。もう中毒である。ネットサーフィンの世界は限りなく広い。メールもいくつかのサークルを主催してオーナーになっている。いろんな人のメールやHPを見ることは楽しい。世の中にはすごい人がたくさんいるもんだ、と感心する。 えっ!自分のお脳の低度?は、わかっているの?電脳生活なんてとても無理ですよ。ムダな抵抗おやめない。 5)山登り このところ山登りに精勤している。国内はもちろん海外の山も20数峰こなした。キリマンジャロほか5.000M級の山にも3つ登ってきた。高地順応をくりかえしながらの登山は苦労が多い。でも山登りでの苦労と根性は自分を癒してくれるまたとない喜びでもある。右脳が活性化されるという学説もある。一昨年、まだ足を運んだことのなかった東北へ行き、3県の山々を一人で、レンタカーで駈けまわり、10いくつかの山に登ってきた。白神山から秋田栗駒までである。弘前では同窓生のN君の家で旧交を温め、帰り道ついでに東京でM君の家に泊まり筑波山に案内してもらい登ってきた。おりよく開かれた、東京同窓会にも寄ってきた。友あり遠方より来たる、また楽しからずや、である。 ついでながら、山登りも一般の海外ツアーも含め、損害保険をかけたことがない。どうせ死ぬときは死ぬという死生観である。「わがよたれそつねならむ」であり「明日ありと思う心のあだ桜」である。もう十数年前になるが、ネパールへ行くときに水盃をして、遺書を書き、葬式へのこともちゃんとかきのこし、その後、辞世の句も3つほど書いている。もう特に心配はないのである。 もっともこの秋、わが国屈指の峡谷・黒四ダム・下の廊下に行ったが、ちらりと保険のことがアタマをかすめた。なにしろ命綱の針金にしがみつき、けわしい千尋の谷を足下にみながらの難行がこれでもかこれでもかとつづくのである。足をすべらしてお陀仏になってもなんの不思議もない。 そんなテマヒマかけて危険な山に登るのはおやめなさい。お前は田舎住まいだし、フィトンチッドが欲しいなら近くの山や野原になんぼでもあるだろう。足腰はもうとっくに、ヨボヨボのくせして万有引力に対抗するなんて!そんな無駄な抵抗はおよしなさい、という声がきこえてくる。 6)ガーデニング ガーデニングといえばかっこいい。イギリスが発祥の地だそうだが彼等は大都会に住み、休日の日にカントリーサイド、つまり別荘とか農地でたのしむことだそうな。金持ちがすることである。多忙な人がストレス解消にすることである、という。だがコチトラにとって何のことはない。もともと田舎住まいなので別住接近である。いつも、庭木の剪定とか花つくり等に追われる。年中、草取りに忙しい。百姓専業である。すこし広いので結構手間がかかる。花が好きで四季折々の花が咲く。 そのなかでいまインパチェンスが咲き競う。春先から霜にあうまで、毎日、毎日、おびただしい花を咲かせ、どこの庭にも負けない賑やかさをみせてくれる。花のたね、苗などをちかくの幼稚園、小学校、公園などに勝手に植えたり、まいたりして来る。愉快犯である。現代版の花咲爺だとほくそえんでいる。 そんなゼニにもならないことに精をだしてどうなるの?庭木など切ってしまったほうがすっきりする。花などいるときに買えばよい。コンクリートでうめれば草をとることもない。いずれ老いさらばえて、作れなくなるのです。雑草はあなたよりずっと、ずっと永久に長生きすることでしょうに。 7)植物観察会 日本植物友の会という組織の支部に入ってもう10数年になる。毎月一度、山に登り、山野草、樹木の観察をする会である。植物のいろんな性質、特性を知ることは楽しい。その可憐な生き様にいつもうなる。日本の在来種、外来種、80万とも100万ともいわれる植物の世界に興味がつきない。 近場ばかりではマンネリになり、ものたりなくなる。北は礼文島から南は西表島。外国も韓国、中国、ボルネオ、ハワイ、西オーストラリアetcまで遠征し高山植物。熱帯、亜熱帯植物の観察にも出かけた。中国では憧れのブルーポピーにも逢えた。 だれかが言った。観察会にきて新しく5つ覚えても歳には勝てないで10個は忘れて帰る?とても覚えようなんてムダですよ。無駄な抵抗ですよ。 8)図書館 月に数回、図書館に行く。年に200冊以上は借りてくる。ベストセラーもせっせと購入希望を出す。ほとんど買ってもらえる。新聞の広告、読書欄等でいつもチェックしている。大型書店に行ったときはいつも新刊をメモしてくる。本というのは自分で買うとどうしても積読(つんどく)になってしまう。借りれば期限におわれて、良心の呵責も少しはあり、つい読んでしまう。 週刊誌、月刊誌はめぼしいのを広告でみておき、図書館で読んでくる。新聞にない情報が得られるし、あらゆる雑学ができる。たとえば芥川賞、直木賞なども毎度読む羽目になる。図書館にいるときが一番楽チンである。なんといっても事故にあうことがないのである。しかもただで終日,暖冷房つきで過ごせるのである。 いま地方税が高い。そのかたきとばかり、図書館で補おうという魂胆があるからいつも忙しい。毎度、閉館の「ホタルの光」がなるまでねばっている。 でも考えてみれば記憶力も薄くなり、昨日読んだ本の作者も題名も即忘れているじゃないか。この秋の芥川賞が誰だったか言ってごらん!「??????」それにいまさら本を読んでも将来的にはなんの役にもたたないのだよ。そりゃムダだよ。無駄な抵抗だよ~オ君。 9)厚生年金 国からの厚生年金をまだもらっていない。法的には「繰り下げ請求」をしている。70歳まで辛抱すれば、少しだけ増えるのだ。6年後が損益分岐点となる。つまり76歳で損得はチャラである。110歳まで長生きして国から合法的にン千万円をかすみ取ろうという遠大な計画である。生きながらえるには少しはオカネがあってもよい。チャップリンがあのライムライトのなかで若きダンサーに諭したとか。「この世で大切なもの、それは愛と勇気とsome money だよ!」。 エッ!そんな馬鹿な。年金財政は破綻寸前だよ。お先真っ暗ですぞ!それに明日死ぬかもしれないのだ!お前が死ねば、国は丸儲けだよ!・・(でもそのときは快く国に寄付しよう)でも、お坊さんの読経「白骨の章」の一説が頭をよぎる。「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、・・・・朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり・・・なんまいだ、なんまいだ」はやくもらえよ!馬鹿じゃないか。損するよ。 10)110歳まで元気で生きる 数年前110歳まで元気で生きることを決めた。強く念願している。いまは信念となっている。名刺にもそのむねちゃんと印刷してある。統計のやりかたは知らないが、今の高齢者の仲間は戦争で沢山亡くなっている。われわれのころには、平均が90歳ぐらいに上がるはずだ。両親も90歳近くまで生きた。わたしがその20パーセントぐらい長生きしてもなんにも不思議はない、というのが単純で愚かな小生の論理である。 きんさん、ぎんさん、かまとばあさんたちはなんの予備知識も持たなかったはずだ。こちらは最近の医学、雑学をそれなりに学び、理論武装?しているつもりだ。センテナリアン(百壽者)は日本では2万人だがアメリカは6万人もいるという(米国には抗加齢学会という老化を一種の病とみなし、これを研究する学問がある)。 辞典によれば初老とは40歳からと言う。60歳からは中老。80歳からは老中に昇格?偉い老中をずっとこのまま続け、老後は3日もあればよいと考えている。ピンピン生きてコロリ死ぬ。小生の場合、年金を国より勝ち取る夢がある。膨大な金とり物語だ。ウン千万円も!である。その実現に向け、そうやすやすと、のたれ死にするわけにはゆかないのだ。その心意気が110歳まで寿命を保ってくれる筈。 人間には死に時、潮時というものがある。「国のため死んでください老人は」と歌った人もいる。若い人を苦しめることと同じです!年取って生きていることは罪悪であり無駄な抵抗ですゾ。まあほどほどで、バイバイしたほうが身のためですぞ!という声がきこえてくる。 「おわりに」 いま「スローな生活」とかいうかっこいい言葉がはやっている。優美なことばである。 でも小生にとっては無縁な言葉である。スローフードを食べスローに生活していたらすぐにボケがやってくるだろう。朝寝も、昼寝も、風邪引きもする暇などとても持ち合わせていない。健康診断とかに行ってのんびり血圧を測ってもらおうなど、とてもおいもつかない。いつも暇のくせに興味津々、無駄な抵抗をしている自分がそこにいる。 いま興味がある人はプロスキーヤーの三浦敬三(先日,息子の雄一郎氏の講演を聞きに行った。改めて驚いた)、詩人の坂村新民、医者の日野原重明氏らだ。みな90歳を越え元気でそれぞれのスタイルを発信しておられる。氏らから見れば私ども60歳台なんてまるではなたれ小僧同然だろう。生きていることを誇りに、志を高く持ち、すばらしい発信、主張をされる人の姿は尊い。 お互い、寝たきりとか、介護をうける生活とか、無発信で無為徒食し排泄するだけ!は御免こうむりたいものだ。ボケるなんてとんでもない。国賊ものと思う。 親譲りで、もうつとに頭髪は白くなり、誰が見てもクソ爺度100%である。だが、われながらおかしいことにその自覚はあまりない。作家で登山家の故田中澄江氏は晩年「顧みればわが最良の時代は60歳台だった」と述懐されていた。いま確実に10歳は平均余命が伸びたのだ。皆さん!私どもは老後に「わが生涯でいちばん良かったのは70歳台だったよ!」と言えるような黄金時代を迎えたいものだ。 ちょっときざだがいつも日々新たに Today is the first day of the rest of my life.(作者不詳)の心境である。
by nandemo29
| 2005-07-22 21:59
| 健康,百寿
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