月と六ペンス モーム著
わたしの学生時代の英語の学習本はモーム、オ・ヘンリー、ハーンなどの短編がはやりであった記憶する。先日近刊の翻訳本を見つけたので、読んでみた。オ・ヘンリー短編・傑作集はほんの最後の数行でどんでん返しのシーンがあり、ここは二度ほど読まないと合点とまでは行かない。 「月と六ペンス」は気にはなっていたが、未読であった。記録によると戦後、中野好夫が翻訳して以来、都合6人が続々と翻訳出版。(日本人のあらかたが読んだことになる?)このたび30年ぶりに、岩波文庫・行方昭夫訳で新刊が出たのでこれ幸いと手に取ってみた。天才の破天荒の行動には、ついつい引き込まれてしまった。 あのゴーギャンの生き様にヒントを得て、作者自身が一人称で書き綴った孤高の生涯のものがたりである。平凡な証券会社の経営者であった主人公、ストリックランドは40歳にして、突然、地位も妻子もなぐり捨て、ロンドンからパリに移り、貧乏暮らしの画家志望の道を選ぶ。 作品は全く売れない。アルバイトで画具を買い、どん底の生活を送る。病で昏睡状態になったのを助けてくれた善良な同僚画家の妻を寝取る。(いや、こと情事に関してはわからな。い女のほうが仕掛けたかもしれない?)複雑極まりない矛盾した反道徳的行動、反社会的行動、・・・・それはなかんずく芸術家的かも?・・・一般的に読者は反社会的な行動を支持することが多いのである。 その後、放浪を重ねタヒチへと夢を追う。そこで港の船宿の手伝いをしていた、アタという17歳の現地の女性と結婚し、港町パペーテから、アタの出生地の奥地に向かいココ椰子の栽培で生計をたてる。クロトンの色あざやかな囲い塀にかこまれた地で、人生最高の幸せな数年を過ごす。 図書館で地球の歩き方「タヒチ」を借りてきた。フレンチポリネシアの諸島はすばらしい!日本からも直行便がでているし、そのうちぜひ尋ねたい島である。 貧困の中にあっても絵を書き続ける。二人の子供をもうけるが、当時としては、不治の病ハンセン病に犯され、息絶える。その中で描き続けたのがあの有名な「われわれはどこから来たのか、われわれは何者なのか、われわれはどこへ行くのか」の作品である。いまはボストンの美術館に眠る。 さて「月と六ペンス」とは?解説によると月は夢や理想をあらわし、六ペンスは現実を表すとある。まだ定説はない・・・そうである。 さてストリックランドの絵は生前全く売れなかった。一ダースの絵でも5~6フランであったという。かのマネーもコローも一枚も売れなかったという伝説がある。 小生は、売れなかった、貧乏だった、放浪していた、不幸だった・・・とかけて青木繁と重なる部分を発見する。時代もほぼ重なる。 まだ昭和27年ごろのことだが、当時小生が通っていた高校の先生で、熱血漢のHという先生がいた。「青木繁はあんたたちの先輩だ。ほんとに貧乏を重ね、生前は報われなかったのにのにその代表作の「海の幸」がブルジョアの美術館にもっともらしく飾られている。これはどういうことか?」と何度も問いかけていた。そのころの小生にはトントわからなかった。 青木繁(1882~1900・・28歳の短命死) ゴーギャン(1848~1903・・55歳没) モーム(1874~1965・・・91歳没) モームは長生きし自らを通俗作家だ・・金銭にこだわった・・といった。芸術家もあまり生きながらえると通俗的になるのかも・・・なにしろ大金持ちになるから。 青木と久留米で同窓の坂本繁二郎はバブルにすくわれ心ならずも?後半は悠々の生活を送った。 清貧が人間を磨くのか、清富が作品を豊かにするのか・・・わからない・ あるいは現代の芸術家は太った豚か多いかももしれない。そこに芸術家としての魂の叫びはあるのだろうか?この小説を読んで感じた。 ついでにゴーギャンの履歴を検索したので蛇足とする。 http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-kin/gauguin.htm
by nandemo29
| 2005-09-14 21:31
| 読書・雑学
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