なぜ裸婦画はパイパンばかりなのだろう?
久しぶりに石橋美術館に行き「The・ヌード」と称する裸婦画展を観てきた。 タダ券を貰ったからだ。ざっと100点(うち男性は青木繁の海の幸ほか一割)ほど。みな自家所蔵版である。当主の正二郎さんは利き目が高く、裸婦画の所蔵に一段と努力されたのだろうか。 こちらも時間を割いて、わざわざ観に行くからには テーマを明瞭にする必要がある。 今回は陰毛をちゃんと描いているかどうかをテーマとして拝見することにした。 眼を皿のようにして廻った(^_-)-☆ みなアチラ向きか横向きが多い。正面向きで描かれていても多くは無毛・・つまりパイパンばかりであった。 モデルは一様にそりあげるのダロウか? それなりにチャンと描かれているのはマテイスの横たわる「裸婦」 小出楢重の「裸婦」ほか5点であった。 ルネッサンス以来の近代絵画では神話とか宗教上の裸婦は薄い布切れをまとって描かれるのが普通であった。しかし18世紀末ごろから印象派,写実主義を標榜する若手によって大胆に破られてきた。 それなのにどうだろう。 噴飯ものだし、不自然だ。 陰毛を描かないなら当初から前面から描かない様にするか、薄衣でもひらめかせることが肝要だろう。 官憲とのいざこざが多々あったという(朝しょう事件・腰巻事件)。 洋行から帰った黒田清輝の絵画展では風呂敷で覆われたという。 ←黒田清輝・「風呂敷をとった裸体・女」・明治22年1889作 (以下の挿入画は石橋美術館と関係ありません) 明らかに劣情・煽情を旨とするポルノとは描くほうも見るほうもそれなりの良識をもってあたればいいことだろう。 たとへば文学の世界でも渡辺純一、瀬戸内晴美(寂聴)はエロ・グロだろうかおオペラだってハイカラに見えるが実情は官能、不倫、三角関係、裏切り、嫉妬などなどがメインテーマである。 手元に世界名画百選(求竜社刊)があるがパイパンなどはひとつもない。要は製作者と鑑賞者の良識ではないだろうか。 2回も眼を皿にして見たので少し疲れた。外に出ると6月の空はからりと晴れ、2万本の花菖蒲祭りが行われていた。花びらはちょっと意味ありだ。そは生殖のため蜂を誘惑する造物主からの贈り物でもある。花びらをかかない花とは? 初夏の空に単純に花はどの花もいつ見ても美しい。 三栖右詞 午後の陽ざし 1978 ↓ 池田満寿夫 リトグラフ 孤独 1980 ↓
by nandemo29
| 2007-06-09 20:42
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