もう何年も世界文学全集などは手にしなかった。このたび発奮し読んでみることにした。
あのレミゼラブル(惨めなる人々・集英社・坪井・宮治訳・81年刊)である。 10月20日、博多座で2ヶ月のロングラン、東宝製作のミュージカルを観る為の予習・事前準備である。(そういえば知り合いが源氏物語の芝居に出るというので・・・急遽源氏物語を読んだことが思い出される) 一ヶ月近くかかってしまった。大リーグのプレーオフ、国内のクライマックスシリーズと野球ファンには朝から番まで時間がない時期である。 誰もがさわりは知っているが通読したひとはほとんどいないというのが名作の条件であろうか。なんとこの小説は3巻もあり、1500ページにも及ぶ大ロマン作品である。 結論からいえば荒唐無稽というか饒舌というか馬鹿馬鹿しいばかりの小説作法である。たとえば筋には関係がないと自らいいながら、ジャンバルジャンが逃げ込む教会のことを50ぺージも割いてだらだらと紹介している。 第二章に「この小説は無限を主人公とするドラマである。人間は脇役に過ぎない」と書いているが主旨はもう一つはっきりしない。 勧善懲悪だか因果応報だかテナルディエ夫妻とかジャヴェール警部とかがいやというほど現れる。演劇仕立てにするのには丁度いいのかもしれないがついまたか、なぜかと思ってしまう。 社会派といわれるだけにコゼットの母、ファンチィーヌが売春婦になったいきさつについて「不幸な女が売春婦に落ちるということは社会が一人の女奴隷を買うことを意味する。誰から?貧乏から」と主張する。 背景となった1815年~代に裁判制度があり(わが国では大岡裁きのころ)、巨大な下水道があり、公園がありパリは大都会であったことがうかがわれる。またワーテルローの戦いをはじめナポレオン戦争、社会一般の風情・教会・修道院・華族から極貧者までなどをとてもよく知ることができるのは冗長さ故と言えるのだろう。その点では有り難く、とてもおもしろかった。 途中、中断をいれて15年もかかった小説である。作者自身18年間(49歳から57歳)もイギリスに亡命した身でありながら国会議員をこなし、多くの放蕩をし、小説を書いた。1885年、83歳で没。エトワール広場の凱旋門の下で国葬が行われ、パンテオンに埋葬された。 この一ヶ月、偉大なヴィクトル・ユゴーと楽しく過ごすことができた。やっととの感じでもある。 事前学習は無事終わった。明日、いよいよ博多座へと一家で出かける。
by nandemo29
| 2007-10-19 08:01
| 読書・雑学
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