Yes we can !
そうさ! みんなでやればできるよ! リンカーン、ケネデイにも匹敵する格調の高い、カリスマ性にあふれた演説をする男だ。人をぐいぐい引き寄せる。 母の教えはキング牧師、シドニイ・ポアチエ、リナ・ポーン、ハリー・ベラフォンテを目指せだったという。 20年も前から大統領になるといって自他共におふれを出し ・超有名人だったヒラリー・クリントンを破ったのは無名の黒人バラク・オバマであった。誰が予想できたであろうか? 父ブッシュ、夫・クリントン、子ブッシュ、そして妻ヒラリーと続く同族系大統領にウンザリ!変革(cange)の波が押し寄せたと言えなくも無い。オバマに寄せられた政治資金の多さが期待の大きさを物語る。 多くの日本人には bluck vs lady の戦いとしての興味しかなかったが、準決勝の勝利者はそのバーはるかを越えた位置で勝利したといえよう。 ←オバマ自伝書 略歴をチョットダケ紹介したい。 オバマはフツウのつまりアフリカから奴隷として連れて来られた黒人とは少し違う。 父はケニアのルオ族出身。ナイロビでは優秀な秀才。ハワイ大学に国選留学生として来る。成績はトップ。3年で卒業。ハーバード大学へ。ハワイ留学中に同級生の18歳の白人女性と結婚。オバマが誕生したが2歳の時には離婚。一夫多妻が好みで国には何人もの妻がいた。(帰国後の彼はケニアのエリート・指導者。腹違いの兄弟が数人いる) 4歳のとき母の再婚者、インドネシアのロロのもとへ行く。インドネシアでの母は毎朝4時に起こし、3時間の勉強をさせ、またアメリカの通信教育をづっと受けさせたというから凄い!凄い人の母はいつも凄い。偉い! 幾多の辛苦、差別に苦しむ。10歳のとき、再度母方の祖父母に引き取られ(祖父母が優秀だった)ハワイへ帰る。高校は一流のプナホウ・アカデミーへ。全米優等学生となる。大学コロンビア大)卒業後はシカゴで低層階級の人のためのケースワーカーとして働く(NPO)。その後ハーバード大学・ロースクールで法律を学ぶ。(アメリカは優秀であれば奨学資金でどこへでも行ける) 再度、シカゴに戻り、市民運動の弁護士活動をする(ここの事務所の先輩だった同じくハーバード卒のミシェルと恋仲になる)、コミュニテイ・オルガナイザー(地域社会活動家)として教会、公民館などを利用して貧困者の自立支援をおこなう。このころ演説、つまり人々をどう説得するかの技法を会得したようだ。 その後州議会、2004年、イリノイから上院議員初当選。2期目。 1961年生まれ。46歳。若さで決勝戦は乗り切ることだろう。若いアメリカにとってはマッケインは負け犬でもあろうか。 いまアメリカはイラク問題、サブプライム問題、貧困層の問題など空前の危機が覆い尽くしている。ドゲントセントイカンバイ。そのチャンスが訪れたのだ。 オバマに期待すること 彼は大統領選に立候補する動機ととして「アメリカ人の根底に礼節があると確信した」と言っている。これはソヴィエトでも中国でもインドでも多分同じであろう。どこも民衆の段階では礼節はあると信じたい。 世界の戦争がなくなること 世界の隅々まで本当の平和と友好が進むこと 人種差別がなくなること。 軍備によらないアメリカの経済が持ち直し、平和に貢献すること いまからわくわくする。 追伸 日本は金満二世議員ばかりでの政治である。野党にしてもオザワとかハトヤマがのさばる。高級官僚はみな腐っている。 アジアの貧しいイスラム教国出身の人が日本に留学。日本の女性と結婚。黒人が生まれ・・・その人を国民が選出し・・・総理大臣になれるだろうか。
by nandemo29
| 2008-06-25 08:29
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